柔道は一般的に「力と技の勝負」と捉えられることが多いですが、実際には高度な読み合いの競技です。
この読み合いの構造は、将棋と多くの共通点を持っています。
将棋で王を詰ませるには、数手前からの緻密な構想と、相手との読み合いが必要になります。
いきなり「王手」だけで勝つことはできず、その前に道筋を作るためのプロセスが必ず存在します。
柔道もまったく同じです。
一本の投げ(=王手)にたどり着くには、優位な組手を作り、相手の重心を崩し、反応を読み、的確なタイミングで仕掛けることが求められます。
つまり、相手との読み合いを制し、戦術的に導かれた結果として「勝ち」が生まれるのです。
このプロセスを無視して、ただ力任せに技を出す柔道は、「柔よく剛を制す」という柔道本来の理念から外れてしまいます。
とはいえ、私自身が常にこれを意識していたかというと、そうではありません。
感覚的に理解していた部分はあったものの、これまでは「投げた」「投げられなかった」という結果だけに意識が向いていたように思います。
しかし、柔道の勝利や一本の投げには、それ相応の理由と理合いがあります。
それを理解し、自ら考えることができるようになると、柔道の面白さは格段に深まります。
ただ勝つのではなく、どう勝つかを考えること。
そこにこそ、柔道という武道の本質と、戦術を構築していく知的な楽しさがあるのではないでしょうか。
私自身、いまこの楽しさに気づき始めています。
これまでとは違うアプローチで、自分を成長させることができていると感じています。
そして、全日本選手権では、その答え合わせができるはずです。